楢橋国武の語り継ぐ出版労働運動史

2.出版労協時代
2.15 70年安保のたたかい(1)

◎マスコミ共闘の安保
 60年安保が58年にその前段闘争として、組合弾圧や警職法闘争が行われたように、70年安保も68年から激しくたたかわれていた。
 総評岩井事務局長は、68年春闘を70年安保の一環として、その第一年と位 置づけたが、それは全員の共通認識であったといえよう。そして、私たちマスコミ共闘にとってはさらに一年前の67年からすでに、70年安保は、権力側のマスコミへの支配介入による反動化・御用化、軍国主義化との全面的なたたかいが続いていたというのが、実感であったといえよう。
 『マスコミ市民』69年1月号で、「マスコミの外堀は埋められたか」という座談会が、上田哲氏司会で原寿雄氏(共同通信)、隅井孝雄氏(日本テレビ)、私(講談社)で行われたがその座談会の中で、原氏は“新聞はまだ70年への態度を決めていない、決められないでいる”と指摘し、隅井氏は“日本広報センターが政府にかわって、核アレルギーと憲法第九条の改正への問題提起の役割をしている”と指摘している。 私は出版物の退廃化、軍国主義化状況を指摘したうえで、“家永教科書検定違憲訴訟のたたかいは、単に反動的教科書行政に一矢をむくいるといっただけのものでなく、教育・文化の国家統制や軍国主義化を押し返していく突破口という意味で取り組んでいる”と発言している。
 司会の上田氏は、67年6月設立の日本広報センター(略称JIC)の政府宣伝機関の役割と、とくにテレビ・新聞の巨大な影響力を最重視していると指摘した上で、“マスコミの70年安保は68年といわれたが、われわれも頑張って、そのたたかいは69年にさらに持ち越されてたたかわれているということですね”とまとめている。

◎安保・沖縄統一行動
 その70年安保は『安保廃棄・沖縄返還』をスローガンにして、マスコミ共闘は、69年に4回にわたって『安保・沖縄』統一行動を組んでたたかい、70年では、第7次にわたる統一行動で激しくねばり強くたたかっている。 とくに安保延長期日の6月23日には、最大規模の取り組みで、加盟8単産が そろって統一ストライキを行い、出版労協は44単組11分会という史上最多の政治ストを行っている。
 しかし、69年12月に行われた総選挙での社会党の敗北もあって、70年の 政治決戦は、自民党政府の「60年安保の自動延長」と「沖縄の核ぬき本土なみ返還」ということで、さまざまな疑惑の解明も真実の報道も不十分なまま、自民党政府のマスコミ対策が功を奏して押し通されてしまった。

◎マスコミ・教育の連帯
 この都市のマスコミ共闘のマスコミ批判国民集会は、全国的な展開のなかで、とくに教育労働者(日教組・高教組)や地区労の参加などにより質的な面でも前進して、「マスコミの問題と教育の問題は、車の両輪である」という認識が運動に加わり、いっそう広範な連帯へと発展していった。さらに、この運動には公害問題が加わったり、また広告労協もタブーであった広告批判に取り組みはじめた。
 そしてマスコミ共闘は、70年安保の総括のうえにたって、“マスコミ・文化・教育を国民のものに”という70年代の新しいたたかいをスタートさせたといえよう。

◎70年春闘
 60年安保のときもそうだったが、70年安保でも民主勢力の高揚のなかで、 春闘共闘に結集した労働組合の要求は、いろいろな面で大きく前進をかちとり成果をあげた。
とくにマスコミ共闘の70年春闘では、日放労(NHK)と電通労組の新年早々からの激しいたたかいが強く印象に残っている。マスコミ各単産は、それぞれ大きな前進をかちとった。
出版労協も、68年春闘から確立した「産業別統一闘争」方式で成果をあげ、69年春闘では、春闘共闘の合言葉になった5ケタ(10000円以上)獲得の組合が初めて16単組出現し、70年春闘では、55組合(出版労協賃上げ率平均20・2%)と大きく前進した。講談社労組でも、69年は10208円、70年は15895円の賃上げを獲得している。
 そして、この春闘に大きな役割を果たしたのが、69年から発行された『春闘勝利のために』のパンフであった。

◎『春闘パンフ』の意義
 この『春闘パンフ』の発行は、出版労連の運動にとって、歴史的なできごとの一つであると、私は思っている。『春闘パンフ』は、今日もなお続いているが、『教科書レポート』『出版レポート』も“出版技術講座”などとともに、私は出版労連の運動の成果として高く評価している。
 は資料をできるだけ公開して、出版界の労使の共通認識の土台とすべきだという考え方に立っている。出版労働者の運動が、より社会的に、より広い理解を得られるようにと私は考えてきたが、『春闘パンフ』は、私の考えている新しい質の労働運動への出発点になったともいえよう。そして、それはやがて出版産業の分析や、産業政策づくりへと発展していったといえるように思っている。

(c)1999年 Narahashi