◎感謝状
3月16日、お茶の水労金ホールで、出版労協結成10周年の記念パーティが行われた。
初代委員長に、突然選出されてしまったノンポリの私には、無我夢中の10年であったというのが実感であった。
しかし、ふり返ってみると、労懇、労協の15年の間に、他の単産なみに出版労協も、出版産業唯一の労働組合として基礎を固め、また、私たちが中心で結成したマスコミ共闘も、順調に発展して5周年を迎えている。そして、それらさまざまなできごとや想い出で私の胸は、いっぱいであっ
た。
10周年パーティは、初代中執や元中執の大勢の仲間たちの参加を得て、盛大であった。その中で、私は書記の江川邑江さんと共に表彰をうけた。
“主婦と生活の苦闘、安保闘争の高揚、くり返される春闘の中であなたのたくましい姿と言葉は、どんなにか多くの労働者をはげましたことでしょう。そしてあなたの労働組合への愛情は、出版労協の統一と団結にどんなに多くの役割を果たしたことでしょう。
まさに、あなたは10年間にわたる出版労働者の統一と団結の主柱でした。出版労協の旗のひるがえるところ、その先頭にあなたのベレー帽がいつまでもあることを心から願って感謝の言葉にかえます。”
10周年記念実行委員会からの身に余るこの感謝状は、いまでも私の宝物である。
◎少年サンデー懸賞賞品
児童文学者の古田足日氏いぬいとみこ氏、鳥越信氏の三人の名前で、少年サンデーの連載『暁戦闘隊』の懸賞賞品として、旧日本海軍兵学校の服装一式ほか、各国の兵器コレクションなどの賞品が、あまりに軍国主義的であり、子どもたちへの悪影響が心配されるとして、版元の小学館に抗議
したいという趣旨の記事が3月15日の朝日新聞朝刊に掲載された。
出版労協は、出版対策部を中心に小学館労組とも連絡をとり、児童文学者協会や子どもを守る会などとともに相談して、少年サンデーの問題から広く児童雑誌の軍国主義的傾向の問題とてとらえて、「児童雑誌問題懇談会」を発足させてとりくんだ。
そして、4月2日の何回目かの小学館への要請行動では、懇談会に集まった団体・個人26名が、小学館の相賀社長、広瀬徳二氏、高柳編集長の三人とお会いして話し合った。私もその一人であったが、解決にはいたらず、残念な想い出として残った。が、当時の軍国主義化的なすさまじさを物語るできごとの一つであったともいえよう。
◎上田哲参議院議員の出現
68年7月7日の参議院選挙では、日放労(NHK)委員長であり、マスコミ共闘議長である上田哲氏が、社会党全国区で104万票を集めて三位当選となり、びっくりさせた。
上田哲氏の出馬が決まったのは、66年の7月であったが、その年の10月4日、池袋の中華飯店で、中井善勝(新聞労連委員長)高橋武(全印総連書記長)中村喜一(前民放労連委員長)生沼喜平(東京印労委員長)の四氏と私と日放労の幹部あわせて11名の会合が行われた。
その席で、上田哲氏がマスコミ代表でありつづけるための構想として、マスコミ市民会議の結成や『マスコミ市民』の発行などが相談された。
そして翌年2月15日には、日比谷松本楼で、日本マスコミ市民会議は、上田氏を代表に、市川房枝、岩井章、小幡操、田中寿美子、中野好夫、松山善三氏など11名の呼びかけ発起人の参加を得て盛大に発足し、『マスコミ市民』創刊号が配られた。
“『マスコミ市民』の産声が、みずみずしいジャーナリズムの蘇生の叫びとなるように。”と誰かが言ったが、この発足の記念のよせがき帳に、私は「小さな種だが、小さな芽だが、大きく大きく育てよう」と書いた。いまその『マスコミ市民』は300号を超えて、安孫子誠人氏によって続けられ、役割を果しつづけている。
上田哲参議院議員の出現は、みのべ革新都知事とともに、マスコミ共闘の運動にとっても大きな発展となったといえよう。
この年も、御茶の水全電通会館で11月12日、第3回中央マスコミ批判国民集会が行われ、昨年にひきつづいて、全国各地域でのマスコミ共闘の結成と、さまざまなマスコミ批判国民集会がもたれ、大きな成果をかちとった。そして、12月14日にはマスコミ共闘結成5周年の意義ある総会を成功させた。
◎新しい段階の出発
私たち出版労協は、労懇時代という5年の前史があり、それを含めると15周年ということになる。そして、その労懇の発足と前後して、全印総連、民放労連や東京印労、JCJなども結成発足している。また、労協機関紙も労懇時代から引き継がれて300号という道標を超えて大きな役割を果たしてきた。
私たち出版労協は、こうした歴史を基盤に結成10周年を機に、第16回臨時大会、第17回定期大会を経て、労協から労連へという組織と単産機能の強化をめざした、新しい段階の運動へと出発した。
(c)1999年 Narahashi