楢橋国武の語り継ぐ出版労働運動史

2.出版労協時代
2.13 1967年のこと

◎年頭のあいさつ
 “昨年はいろいろなことがあった一年でした。春闘では、『統一要求を統一闘争で』という旗を高く掲げて大きな前進をかちとりました。また、国際的な意義と国民的な共感で高く評価された10・21ベトナム反戦ストでは、安保を上回る組合数のストライキをもって立ち上がることができましたし、年末闘争では、『要求提出日や回答日をそろえて』統一ストでたたかうという成果をあげました。そして、佐藤内閣はきびしい批判と世論に追いつめられて、ついに解散総選挙ということになりました。今年は、総選挙につづいて4月には地方自治体の統一選挙が行われ、東京では都知事選が行われます。
 今年という年は、私たちにとって大変厳しい年ですが、同時にまた、私たちの努力次第、活動いかんによっては、大きな夢と希望にむかってさまざまな可能性を切りひらいて行くことができる年でもあるといえましょう。”『総選挙・春闘の勝利を』という1967年の年頭あいさつの中で、私はかってないきびしさで訴えている。

◎ベトナム反戦スト
 アメリカのベトナム戦争に反対して、出版労協は精力的にとりくみ、豊田副委員長を派遣したり、ベトナム支援委員会を発足させて、さまざまな支援行動をくみ、10・21一ストでは、とくに66年には、29単組・11分会という安保ストを上回る組合数で決行した。
 どのような理由をつけてもアメリカのベトナム戦争に正当性はみられない。しかも日本は、そのアメリカ軍の基地になっている。きわめて素朴な総意での平和を希う反戦ストであったといえよう。そして、私の出身組合講談社(小川繁雄委員長)も30分ストを行っている。
 また、この年の11月12日には、マスコミ共闘主催・総評後援による第1回マスコミ批判国民集会が、有楽町のビデオホールで行われた。
 “マスコミの軍国主義化、反動化に反対するために”新しい試みとして、マスコミ労働者と読者、視聴者が一緒になって討論する場として開催されたことが強く印象に残っている。
 またこの年の年末には、野田経済労組に突然組合つぶしの攻撃がかけられ、組合はストで職場を占拠して、年末年始をたたかいぬき1月14日に勝利をかちとった。そのときの記念に、組合員のよせが きの色紙をもらったことが、私には忘れられない想い出となっている。

◎総選挙と東京都知事選
 1月29日の衆議院総選挙では、出版労協は社共両党をすいせんしていたが、私は初めて出版労協を代表して、当時書記長だった飯岡邦輔氏とともに、とくに青少年条例でお世話になった社会党候補の 大浜亮一氏と、主婦と生活争議でお世話になった共産党の松本善明氏の選挙事務所を訪ねて、激励陣中見舞いに行ったことを覚えている。が、総選挙ではあまり見るべき成果はあがらなかった。
 しかし、4月15日の東京都知事選挙では、戦後はじめての革新の美濃部亮吉都知事が誕生した。その16日の私の日記には、“開票第一報からみのべさんがリードであった。昨日の投票所のムードや実感から自信があったので勝ったと直感した。そして最終的には220万票余で、自民・民社の松下候補と約13万の差をつけての勝利だ。当確の瞬間、熱いものが私の胸にこみあげてきた。そして東京での革新の勝利の意義は、大きいぞと思った。やっと私の中で冬の時代が終わった…”と記してある。
 横浜では飛鳥田さんが勝った。九州・福岡では小差で及ばなかったが、全国での自治体選挙では、反自民が大きな前進をはたした。  東京都知事選は、安保以後ギクシャクしていた社会党と共産党が政策協定を結び、一致してみのべ候補を推薦し、また、大内兵衛、市川房枝、中野好夫、松本清張、海野晋吉、佐々木更三、野坂参三等13名の著名人による『あかるい革新都政をつくる会』への呼びかけが行われ、広範な民主勢力の結集が大きな力を発揮したといえよう。
 この都知事選挙方式は、その後もいろいろな面で成果をあげたが、このときの何人かの方々は、その後も社・共共闘や革新統一への働きかけの役割をしてくれたことが、私には強く記憶に残っている。

◎マスコミ共闘
 この年は、マスコミ共闘の運動の前進としても忘れられない一年であった。
 この頃から春闘共闘の中でマスコミ共闘が先行単産の一つとして位置づけられるようになり、また各単産の争議団がマスコミ共闘に結集してたたかいを組むようになった。   さらに、全国各地でいくつものマスコミ地域共闘会議が結成・発足した。そして、第2回中央マスコミ批判国民集会が、11月8日に行われているが、各地方地域でも、さまざまなマスコミ批判集会がもたれるようになり、マスコミ共闘のたたかいは急速に全国的なひろがりをみせて、大きく前進することになったといえよう。

(c)1999年 Narahashi