楢橋国武の語り継ぐ出版労働運動史

2.出版労協時代
2.12 労働運動冬の時代(2)

◎1965年旗びらき
 冬の時代を端的に物語るかのように、この年の労協旗びらきは、無期限ストで、建物を占拠してたたかっている青葉労組で、1月11日に行わ れた。
 当時出版労協内では、青葉の偽装倒産闘争をはじめ、大盛堂書店労組や明治図書労組や学校図書労組などが激しくたたかっていた。
 そして、青葉労組の建物はかなり広いので、争議支援だけでなく、使用規定などをつくって、いろいろな組合のさまざまな会議や交流、学習会などにも使用され、さながら労働運動のセンターのような役割をはたしていた。
 青葉労組のたたかいは、最終的には1967年3月20日争議史に残るような成果をもって、和解解決をかちとった。私にとって主婦と生活、英通につづいて心に残る争議であった。
 60年安保後の数年間を、私は労働運動冬の時代と呼んでいるが、当時マスコミ各単産には、権力と資本による激しい攻撃がかけられ、争議団 が多発していた。
 新聞労連では、“サンケイ残酷物語”というパンフに代表されるような合理化と反動化攻撃が行われ、東京新聞労組の激しい争議がたたかわれたし、全印総連では、印刷最大手の凸版印刷労組が総連脱退という事態が起こった。
 また民放労連では、福井放送、毎日放送、12チャンネルなどの大争議が発生し、映画では、大映労組や日活労組が争議団となった。
 そんな中で、マスコミ共闘の結成によって、各単産の争議団や課題が、例えば出版の教科書問題や、NHK、民放などの放送法改悪など、また日韓問題やアメリカのベトナム戦争などが、マスコミ共闘の中で位置づけられて全体の運動となり、たたかいは大きく発展していったといえるように思う。
 そのなかには、青少年都条例のように押し切られてしまったものもあるが、講談社の少年雑誌と日本テレビのタイアップ企画で、自衛隊PR番組といわれた“列外一名”問題は、日本テレビ労組が中心となり、マスコミ共闘で“放映阻止共闘”を結成してたたかい、放映中止をかちとる成果をあげたものもあった。
 この“列外一名”闘争の中で、私ははじめて日テレ労組の若い活動家隅井孝雄氏と知り合ったが、彼は後に、マスコミ共闘の名事務局長として大活躍した。

◎第1回出版労協労働学校
 第10回定期大会方針の実践としての“労働学校”と位置づけられて、10月23日〜25日の3日間にわたって出版労協としてはじめての本格的な労働学校が、熱海で行われた。参加者94名、生徒73名(女性32名)、本部13名、講師・助言者8名という構成であった。
 対象は、出版労協各機関、単組および青年・婦人の幹部や活動家となっており、途中入・退学を認めず、全員同一校則という厳しさであった。
 講師は堀江正規氏(世界経済研究所)、辻岡靖仁氏(関西勤労者学習協議会)で、助言者には、マスコミ共闘事務局長の古野雅美氏をはじめ、新聞労連、全印総連、民放労連、紙パ労連、全日自労から各1名の6名であった。
 私にとって、決して忘れられないほどのきびしい学校生活で、大学ノート一冊分が記録で埋められている。私は数え切れないほど、いろいろな学習会や労働学校に参加してきたが、いまでもこのときの第五班の学友たち、日本書院の肘井君、小学館の間島君や岩波の高林夫人などの顔が浮かんでくる。
  出版労協の労働学校は、翌年には11月に3日間、単組代表者を集めて、第2回が行われ、さらにその翌年の2月には同じく3日間、青年・婦人を対象にして第3回労働学校が行われている。私はいずれも大学ノート一冊分づつ記録しているが、なぜか私にはこの3回の労働学校の参加者 たちが、その後の出版労協を大きくささえてくれたという思いがしてならない。
 労働運動冬の時代を乗り切るためには、組合幹部自身の学習と討論による理論武装と産業分析や出版研究集会や、青年・婦人のエネルギーと、マスコミ共闘という大産業規模の共闘強化と統一闘争が何よりも必要だったのだといえるようにおもう。それは、民放も新聞も他の単産もみな同じだったといえよう。

◎家永教科書検定違憲訴訟
 「教科書国家統制法」の成立は、出版労協にとって大きなショックであった。その挫折感の中から、深い討議のすえに「教科書の国家統制排除等に関する請願」という、新しい運動をすすめた。しかし一方では、“光村残酷物語”パンフで知られるような教科書労働者への激しい合理化が押し進められていった。
 そうした状況の中で、家永三郎東京教育大学教授が、1965年6月12日、国を相手どって「教科書検定違憲訴訟」を起こした。
 この訴訟は、私たちの教科書闘争に大きな激励とエネルギーを与えてくれたばかりでなく、各方面に大きな反響を呼んだ。そしてたちまち家永訴訟を支援する全国組織が結成され、“教科書検定訴訟を支援する全国連絡会”が発足した。もちろん出版労協は、その中心であった。


(c)1999年 Narahashi