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1963年という年のいま一つ大きなできごとは、教科書のたたかいであった。 この年の2月19日、政府は国会に「教科書無償措置法案」を上程した。しかし、それは無償と引きかえの採択・発行統制であって、つまり教科書の国定化を意味するものであったのである。 出版労協は、教科書の「無償措置法案」は「教科書国家統制法案」と位置づけ、最重要課題として、豊田副委員長を担当責任者にして全組織をあげた取りくみ方針を打ち出した。 5月には、「教科書メーデー」と呼ばれた労協をあげての署名・ビラ・大PRは、後々まで話題となるほどの成功をかちとった。そして、それは「教科書国家統制粉砕推進会議」の発展発足となった。日教組から議長が、出版労協から事務局長ということになったことで、全力投球ぶりがわかるであろう。 教科書問題は出版労連の最も誇り得る運動であり、たたかいである。だから、いろいろな人たちがそれぞれ大きな役割を担い果たしてきているので、私より適当な語り手に書いてもらいたいと思うが、私なりの想い出を日記からひろってみたいとおもう。 6月3日(衆院議面にて)今日は朝から雨だ。何日ここに通ってきたか何回この議面受付の日本社会党と書いてある窓口から面会や傍聴を申込んだことか国民の一人として、組織の代表者として、抗議をしたり 請願をしたり激励したり するために。今日は 文教委員会で10時半から 参考人の意見陳述が行われるというその傍聴券を一枚でも多く手に入れるのが私の役割だ。 そして私の日記には、社党文教委員の山中吾郎氏、村山喜一氏や、共産の谷口善太郎氏の質疑の記録や、とくに現場教師の本田公栄氏の陳述には強い共感と感動が記されている。 私は角田書記次長などと、文教委員の議員と議面の動員の組合員との間の連絡役で、政党の控室と議面を行ったり来たりしながら、傍聴券の手配をしたり、議員に委員会の報告をお願いしたりするのが役目であった。そして法案が廃案となった7月6日の日記には、次のようにある。 “泣いても笑っても国会は今日いっぱい”夜の12時までだ。昨夜から今朝までの自民党や文部省側のまきかえし工作が話題になり、日教組にも総評にもかなりの働きかけがあったらしいという。 議面は朝は20名ぐらいだったが、夜になって100名ぐらいに増え盛り上がってきた。いよいよ歴史的な瞬間がやってくるのだ。廃案か強行採決か?みんな時計を見ながら、いてもたってもいられない気持だ。 11時半、本会議は文字通り時間ギリギリの中でひらかれ、別の何かの法案が可決されて散会となり、教科書は審議未了で廃案となった。 拍手が起こった。私は豊瀬議員、小林議員と握手し、千葉さんと岩間さんにお礼を言って議面にかけつけると、議面は拍手と握手の興奮のるつぼであった。---略--- この国会での教科書のたたかいで、私はとくに山中吾郎氏の活躍に感激して、そのあと2回の選挙には岩手県盛岡市の山中議員の選挙事務所まで、カンパをもって応援に行っている。それほど私にとって、この教科書の国会闘争は労協全体で全力で取り組み得たたたかいとして、私の中にはいまでもよくがんばった想い出として強く残っている。 しかし、その教科書法案はその年の年末12月13日、突然上程され可決されてしまった。極楽のあとに地獄をみたような教科書のたたかいの想い出となってしまった。
◎地協の昼(ひる)デモ
◎総評大会から
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